院長ってこんな人

はじめまして!なかむら整骨院 院長の中村正登士です

院長の画像

院長の名前
誕生日:1975年7月25日
出身:徳島県徳島市
血液型:A型
趣味:読書、音楽鑑賞(レコードが好きです)
好きな食べ物:カキフライ・お寿司・シーチキン

私がこの道へすすんだきっかけ

施術の世界との出会い

子どもの頃の写真

私が5才の時に、病院で「片耳が聞こえていません。」と診断を受け、治療をしてもらっていましたが、なかなか改善しなかったため、母親が連れていってくれたところが、整体でした。
体を触れて施術してもらうことは、その時が初めての体験で、今も私の感覚として残っています。(当時はとても不思議なことでした。)
その頃は片耳が聞こえないだけではなく、よくめまいもしていました。目が回って、眠れない日も多く、よく泣いていたのを覚えています。施術をして頂いたお蔭で、今は両耳とも良く聞こえています。

施術の原点

私の母親は仕事しながら私を育ててくれたのですが、
きっと無理をしていたのでしょう、休みの日などは寝込んでいることが多く、頭痛や肩こりなどに悩まされていました。子供ながらに母親の不調は心配でした。
「元気にいて欲しい」と良く思ったものです。
そんな時に、整体の先生にしてもらった真似事を母親にして、喜んでもらったことが私の施術の原点になっています。

幼稚園時代

幼稚園時代

元気一杯で外で遊ぶことが大好きでした!
が、めまいをよくしていたので、おゆうぎの時間などは、おゆうぎ室をグルグル回りながら走ったり、 スキップをしなければならなかったので、イヤでしょうがなかったです。めまいがすることを上手く言えず、 逆向きに走ったりして、良く怒られていたのを覚えています。

小学校時代

小学校時代

一人っ子だったせいもあってか、学校帰りや休みの日に友達と遊ぶことが大好きでした。
キン肉マンの消しゴムやファミコン(昭和ですね~)に夢中になっていました。

今では考えられないのですが、音楽の時間がとても苦痛でした。
小学校4年生くらいまでは、音楽を聴くと目が回って凄く気分が悪くなっていたのです。 それを紛らわすため、音楽の時間はふざけたり、友達に話しかけたりして、これまたよく叱られていました。
(先生、ごめんなさ~い)

中学校時代

中学校時代

音楽を聴いても目が回ることがなくなってからは、一転して、音楽を聴くのが大好きになりました。 ジュンスカやブルーハーツなど、音楽を聴いている時が一番楽しかったです。
バンドをやり出したのも友達の誘いがきっかけでした。
(一度だけ、JRTラジオにも出たんですよ♪)

高校時代

徳島県立城東高等学校に入学し、サッカー部に入り、生徒会長!も務めました。
そのままバンドにも夢中で、よくライブをしていたのが、いい思い出です。 高校3年時にはイギリスに10か月ほど留学をしました~。
(いつか息子を連れて行きたいです)

大学時代

札幌学院大学 英語英米文学科に入学しました。
大きい声ではいえませんが、勉強よりもアルバイトに精をだしていました(笑)。
バイト先の居酒屋レストランでは、本当にたくさんの事を学ばせてもらいました。
(ヒロシさん、ありがとうございました!)

就職~転機~現在

就職を決める際にそのまま整体の道に進むことは考えていたのですが、諸事情もあって、徳島に帰り、介護の仕事、塾講師をしていました。 厳しい職場でしたが、バリバリと仕事に励んでいました。

ところが、ある日髪を切りに行ったときのことでした。
「あれ?中村さん、知っていたら申し訳ないのですが、ここの処の髪が、、」と言われ、 「えっ?」と思いながら、手鏡で後頭部を見させてもらうと500円玉くらいのハゲが出来ていました。

それを見た瞬間に、凄く無理をしていた自分に気が付きました。

「自分が本当にやりたいことはなんだろう?」

と改めて、自分を見つめなおしたときに、「やっぱり、整体をして人に喜んでもらいたい!」と、 忘れかけていた熱い気持ちが湧き上がってきました。

それからは、国家資格を得るため、専門学生になることを選択し、朝8時から夕方5時までは整形外科で働き、夜は専門学校の夜間部で勉強し、 家に帰ってからも、遅くまで勉強する日が毎日が3年間続きました。
(恥ずかしながら、人生の中で一番勉強しました(笑))

国家資格を取得した後は、積極的に勉強会に参加しながら、兵庫県の鍼灸整骨院での修業の後、 平成21年7月に「なかむら整骨院」をオープンし、現在に至ります。
(お蔭さまで6年目です!)

これからもご縁ある方のお役に立って喜んで頂きたいと思っています。

最後まで読んで頂いてありがとうございました!